日常シネマトぐらふ

見てくれた方の感情のどこかにシンクロ出来れば。

『かぐや姫の物語』考察 〜アダムとイブ〜

見て来ました『かぐや姫の物語』。

 
今回はストーリー中心に書きます。
竹取物語をなぞった上で、高畑勲監督は何を描いたのか。(ネタバレあり)
 

聖書

『かぐや姫の物語』のバックボーンは
旧約聖書「創世記」の話ですね。
 
これはもう、そうでしょう。
簡単に言うとアダムとイブです。
 

アダムとイブ

「創世記」を簡単に。
アダムとイブはエデンの園(理想郷であり神の国)で神によって
飼われているペットでした。
ある時、神によって禁じられていた知識の実を食べて欲望が生まれてしまいます。
この時に葉っぱで股間を隠すのですが、
これは性欲に目覚めて恥じらい(罪)が沸き起こった事を意味しています。
自我に目覚めたともいえます。実存ですね。
ペットは自分が何者であるか等、考えません。
自我に目覚めた訳ですから、もう神のペットではありません。
そのことでエデンの園を追放されます。
これが「原罪」です。
 

実存主義

これの説明がまた難しいのですが、さらっと。
実存とはデカルトさんの
我思う、ゆえに我あり
の言葉にある通り、自分が自分を認識している時だけ、
自分が存在するという考え方です。
つまり認識する事で世界が存在します。
はい、分かりにくい。
反対語の実在主義と合わせて考えると、分かりやすいかもしれません。
面白い考え方なので是非調べてみて下さい。
 
 

月世界

やっと『かぐや姫の物語』に言及できます。
『かぐや姫の物語』は、かぐや姫が清浄無垢な月世界から穢れた地上へ来る話です。
もうお分かりでしょう。
 
月世界は「エデンの園」
 
かぐや姫は「イブ」
 
ですね。
ところで月世界はどんなところなのでしょうか。
とあるワンシーン。
一面真っ白の雪原に倒れこんだ時にかぐやが言う
「私、この世界を知っている」
は、正常無垢だけど色のない月世界のことを指しています。

真っ白の雪原には何もありません。

 

月世界の罪

竹取物語で月から迎えが来た場面で天人が翁に言った台詞
かぐや姫は罪をおつくりになったために、このように卑しいお前のところに、しばらくいらっしゃったのだ。今は罪を償う期限も終わったのでこのように迎えにきている。早くお出し申しあげよ。」
原作でもとはっきり言っています。
かぐや姫の罪というのは上で述べた「原罪」の事でしょう。
アダムとイブと同様に、かぐやも月世界で実存に目覚めます。
 
『かぐや姫の物語』の場合、実存に目覚めるきっかけは、地上の唄を歌う女性。
月にありながら、僅かに残った記憶で地上の唄を唄う女性に
かぐやは興味を持ってしまいます。
だから、かぐやは地上の歌を歌えました。
実存に目覚めた者は神の国には居られないのです。
 
決定的なのが
捨丸とかぐやが瓜を食べるシーン。
畑から瓜を拝借するのですが、
丁度、人が来てしまい近所の子供達と二人は分断されます。
なんて都合が良いのでしょう。
そして二人だけで隠れて瓜をたべます。
 

アダムとイブが禁断の果実を食べた瞬間ですね。

 

月世界の罰

 
罪について理解出来れば後は簡単。
穢れた世界である地上に落とすことがですね。
喜怒哀楽に身を焦がし、愛別離苦の情に振り回され生老病死に苦しめられる世界です。
月世界からすれば、に相応しいでしょう。
 
 

穢れた地上

しかし地上の世界は、それ故に生々しい生の世界でもあり、
色彩に溢れた世界でもあります。
泣き笑いの詰まった、素晴らしき世界です。
 
観客はかぐや姫の地上の暮らしが可哀想だと思うかもしれません。
かぐやも辛い生から逃げ出したいと一度は思いました。
しかし、その悲しみがあるからこそ冬があるからこそ、
春が来るとかぐやも劇中で気付きます。
死んだ様に生きてしまった経験を経て、生きる意味を理解したかぐやだからこそ、
月へ帰ることに抵抗したのではないでしょうか。
しかし相手は月世界の天人。
抗えないと分かっているかぐやは悲しみに打ちひしがれます。
悲しむしかないかぐやの代わりに女童(めのわらわ)が抵抗するんです。
女童は作品全体をコミカルに仕上げる飾りと思っていたのですが、
最後の最後にやってくれますね。
地に足をつけ、闊歩しながら地上の唄を唄い子供たちと共に抗います。
小さな小さな抵抗ですが、天人達と対照的に描かれる地上のパレード
真正面から対抗する意志の表れです。
辛い事ばかりの地上で、生きようとする力強い姿そのものでしたね。
 
はっきり言って、かぐやに何もいいことなんて無かったです。
でもかぐやは言います。
「穢れなんかじゃない!」
 
 
ここに全てが収束するんですよ、最後に。
喜びや悲しみ、苦悩や葛藤、願いに祈り、
力強さや勤勉さ、温かさや明るさ、教養や共感が、
尊敬や憧れが、畏怖や恐れが、
かぐや姫が生きた全てが全てが…号泣必死です。
 
 
またこのシーンでかかる曲が、
あっけらかんとしたカントリー調の明るい曲なんですね。
こちらの意を介さない天人を象徴するような曲です。
この曲が突き刺さるんです。
悲しいシーンを明るい曲で、より悲しさを引き立たせます。
バンプオブチキンの「車輪の唄」辺りを思い出しました。
 
明るさと悲しさと気味の悪さが共存したこのラストシーンは間違いなく歴史に残る名シーンでしょう。
 
 
 
温かいアニメーション、決して観客に迎合しない音楽、
人間を見つめ直すストーリー、
どれをとっても最高の作品です。
旧約聖書をなぞっている辺り、人の普遍性に挑戦した作品でもあります。
 
今日性は薄いかもしれませんが、だからこそ人の本質を突く、
沢山の人に愛される、生きる力が心の底から沸き起こる作品になっています。
 
 
 
 
 
最後に、遺作となったこの作品を素晴らしい演技で盛り上げてくださった
地井武男さんに尊敬と畏怖の念を込めて、ご冥福をお祈りします。