日常シネマトぐらふ

見てくれた方の感情のどこかにシンクロ出来れば。

今更!映画「ソーシャルネットワーク」

最近見た映画【ソーシャル・ネットワーク
素晴らしい映画だったのでつらつらと。

彼女に振られた事を発端にFacebookを作り、
それが世界に広まる狂騒を経て、全ての始まりへ帰るお洒落構造。
作中ではそんなお洒落は全く無く、発端を忘れる程のFacebook成長狂騒曲。
のし上がって行く様は正にアメリカンドリーム。

現代の話をしているのがまた楽しめる。
SNS使った事ある人には、痛い程分かる描写も。
彼女がFacebookの「交際の有無」の項目に文句を言って来る等、Facebook自体の描写は少なめになっているけど、トラブルの元になる辺りを抑えているのは流石。

紆余曲折ありFacebookは世界に広まる。
ふと気付けば狂騒曲は鳴り止み静寂が訪れる。
先程までの喧騒が嘘のように。ザッカーバーグが気付くと同時に観客も気付く。ザッカーバーグの元には仲間が誰も残っていないと。
そしてラストシーン。上手すぎる。

ザッカーバーグが孤独に気付かない理由も、最初から最後まで一貫して演出されている。
エドゥアルドに詰め寄られても訝しげな表情。ちゃんと聞いてるのか分からない表情にイライラした人もいる筈。
彼はコミュニケーション障害を持った人として描かれている。

決定的なのはビールを投げるシーン。
一本目を投げた後、普通は受け取る気が無いと察するもの。彼にはその“察し”が無いから二本目のビールも割れる。冒頭の彼女への辛辣な言葉も悪意は無く、ただそう思うから話しただけ。

コミュニケーション不全の人間がコミュニケーションツールを世界に広める皮肉な話。
しかしその根本には、コミュニケーションを取りたいという願望がある。



コミュニケーション障害を持つ人でも、

良好なコミュニケーションが取れていない事は認識出来る。

痛みは感じてしまう。


それがあの狂騒曲の根源だと思い返すとその熱量に胸を打たれる。


フェイスブック 若き天才の野望

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