日常シネマトぐらふ

見てくれた方の感情のどこかにシンクロ出来れば。

『天気の子』と「不倫は文化」【ネタバレあり】

新海誠監督「天気の子」

https://i.gzn.jp/img/2019/04/10/tenkinoko-shinkaimakoto/00.jpg


トーホー日比谷、朝イチの回。客はまばらで隣も空いてましたが、
上映ギリギリに滑り込みで隣に小学生くらいの女の子が1人で座りました。
1人?と思いましたが「東京の小学生は凄いぜ。」と流し鑑賞。

中身は前回に負けず劣らずの美麗アニメーション。
雨が水がプリズムが劇中至る所で踊りまくる。
前回の登場人物より幼く見えワガママな子供の話かと序盤はきつくなった瞬間もあったが
天気に関する豆知識や現代人の天気の捉え方、
更にはフィクションに対するロジックの積み重ねを一生懸命やってて引き込まれた。
天気を操るとか神の御業な訳で、好き勝手やれる話だったらどうしようかと心配していたが
いわゆる「力の代償」的なフリもあり、そういうバランス感覚があるクリエイターは信頼できるよなーとか考えながら観ていた。
美麗アニメーションの中には彼のこだわりの1つでもあるビルなどの建造物が今回も随所に出てきており
晴れ間が指す森ビル屋上などは圧巻の一言。カメラが回り込むのもグッド。


そんな中、新宿歌舞伎町など汚い街並みも描かれているのだが
所にラブホテルが見切れている。
僕の記憶が正しければ1枚、2枚のレベルではなく結構挿し込むなーと。


そして作中後半、案の定主人公一行は必然的にラブホテルに泊まる事になるのだが
ここでのラブホ描写が凄くしつこい
玄関の狭さから始まり、風呂の広さ、風呂のライトアップ、ベッドの広さ、カラオケ、枕元の電気のスイッチ、有料ホットスナック、女の子にはガウンを着せたり等
ラブホあるあるをかなり見せるなと思っていたら
大オチで朝、木の板で閉じられている窓の隙間から朝日が注いでて
それで起きる所で流石に笑った。
そしてふと思う、意図的だなと。

その後はヒロインが消え、主人公が走るといういつもの奴になるわけだが
今回は「ヒロイン」と「晴れの世界」が天秤にかけられている。
ロインを助けるという選択は「晴れの世界」の喪失を意味し
逆に「晴れの世界」を選択すればヒロインを喪失。
「選択の代償」が主人公には付きまとう。
ここでビッグバジェットの映画なんかでは
個人の志向より世界を救うような選択をして
或いはヒロイン自ら犠牲になり
主人公がヒロインを思い涙の1つでも流しRADを流しエモい感じで締めそうなものだが、この映画ではまさかまさかの個人のエゴを優先し世界を代償にヒロイン個人を選択する。
ここら辺であれ?これってまさか…
脳裏をよぎるのは監督自らが何かの媒体で
「間違った選択をする物語」
的な事を言ってたなぁと。



間違った選択…
世界を代償に…
個人のエゴ…
ラブホテル…
選んではいけない相手…



不倫やん。
「君の名は」リリースタイミングくらいでリークされてたよね
その報道急に立ち消えたけど(怖)。
もちろんスポーツ新聞ネタなので100%やってるとは言い切れない。美人女性編集者とか具体的だけど、ガセの可能性もある。
ただ今回の映画の中身考えると、これやってるやん。
「100%の不倫男おぉ?!」やん。

つまり「晴れの世界」は今の奥さんがいて子供のいる家族のある世界。
逆に不倫相手を選べば、一緒には居られるが雨の降り続く世界。

作中でも描かれてるがラブホは身分を証明する必要が無いから都合が良い。
(丁寧にAPAっぽいホテルにも行くが断られる)
こんなに執拗にラブホ描写して
しかも楽しい感じにしてるってことは相当楽しかったんだなと。

恐らく監督の中ではそれはセンセーショナルな出来事で、
現実には出来なかった選択穂高くんにさせる事で昇華させた訳だ。
「ララランド」の様なあったかもしれない未来、切ない。
実体験或いは実際に感じた事を作品に落とし込むのが一番観客に届くと理解してる監督なので
まぁあながち間違いでは無いかと…。
実際やってるかどうかはどうでも良い。
むしろ純愛故に良き題材な訳で。
恋愛してないと恋愛を書き続けるのは無理だと思うので報道は納得がいくものだった(笑)。

結果的に「雨の世界」がやって来る。
やってくるというよりそもそも「雨の世界」だったものが継続される。作中でも「この世界がもともと狂ってる」と小栗旬が間違った選択を肯定してくれる。


後は細かいのをいくつか
ヒロインの弟の存在はホテルで3ショットが必要だったのかなと。
ホテルで2ショットは意味を持ち過ぎるので緩和するための「ホテルシフト」。
弟のキャラは立ってるがそれ以外にあんまり効いて無いし。

大量に発生した水の魚は、不倫報道に飛びつくネット上の大衆か。
現れては消えてく魑魅魍魎。

知り合いが指摘してたのが「主人公がヒロインをあっさり助け過ぎ」ってのがあって
確かにやると決めて向こう側に飛んだ後は、
ヒロイン見つけてラピュタ或いはエウレカやるだけなので実際そうなんだけど
この切り口で考えるとどっちの世界かの「選択」だけが重要なのでそこも説明がつく。

拳銃描写が結構重くて、必要か?と思ってたけど知り合いからの指摘で
「男性器」のメタファーという事で必然性ありました。
高くんが男になると、性的。
そう考えるとガウンも凄い性的やわ。
彼女の体が人間性、女性性を失う一瞬は「最終兵器彼女」を連想させられた。

今回の勝負曲「グランドエスケープ」も賛美歌っぽくて不倫を祝福してくれます。
(賛美歌はどうなのか、ま脳内では賛美歌以上のものが流れているのだろうが)
タイトルも最高で「グランドエスケープ」。
エスケープですって。何から逃げたいのか!?笑
個人的な興味は、この作品の意図を洋次郎には理解させたのかさせなかったのか。
理解させてないとこの歌詞出ないよな。


空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら
それでも空に魅せられて 夢を重ねるのは罪か?

刑事罰は無いです。


夏は秋の背中を見て その顔を思い浮かべる
憧れなのか、恋なのか 叶わぬと知っていながら

法的に結婚は無理です。


重力が眠りにつく 1000年に一度の今日
太陽の死角に立ち 僕らこの星を出よう

今日スケジュール大丈夫よ、奥さんいないから。


彼が目を覚ました時 連れ戻せない場所へ
「せーの」で大地を蹴って ここではない星へ

ホテルかな?

行こう

ホテルか

もう少しで運命の向こう もう少しで文明の向こう
もう少しで運命の向こう もう少しで

文明とは紙一枚の拘束力と理性


夢に僕らで帆を張って 来るべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで あとはどうにかなるさと 肩を組んだ

ポジティブな意味での夜だろうな。
無責任、故に本質的。


怖くないわけない でも止まんない
ピンチの先回りしたって 僕らじゃしょうがない
僕らの恋が言う 声が言う

考えるのやめてます。


「行け」と言う

どれだけ制約のある恋なのか。

 


「100%の晴れ女」という勝負ワードが予告にも出てくるが
同時に「100%の雨女」だったわけでアンビバレントな感じも良き。

見てる最中、陽菜が「晴れの巫女」なら
対の存在「雨の巫女」も登場するのかと妄想していたが、そんな事は無かったぜ。
もし「雨の巫女」が出て来ていたならそれは完全に奥さんなので怖いです。

雨の降る世界には陽菜が存在するのに
晴れの世界には奥さんは存在せず、奥さんは世界そのものに同化してる辺りリアルだったりする。
結婚すると恋愛対象ではなくなるとか良く言われる事だがそれを落とし込んでいる。
そう考えると奥さんを太陽にしづらいから、太陽は娘か。
すると奥さんは"重力"か。

すごい個人的な映画で
ニヒリズムナルシシズムで気持ち悪くなりそうなものだが
エンタメ化できる手腕は流石というべきか。

 


追伸

隣では小学生の女の子がクライマックスで
手を合わせ祈るように泣きながら見ていた。
音楽パワーずるいなとか思って泣くつもりはなかったが
その光景にこれが純粋無垢のリアルかと、泣かされた。