日常シネマトぐらふ

見てくれた方の感情のどこかにシンクロ出来れば。

脱力!キネマタイムズ#10 シネマランキング2019放送後記

シネマランキング2019

アベンジャーズ/エンドゲーム

トイストーリー4

JOKER

④ワンスアポンアタイムインハリウッド

⑤スパイダーバース

アナと雪の女王2

スターウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

アルキメデスの大戦

スパイダーマン/ファーフロムホーム

⑩天気の子

 

スターウォーズ

スターウォーズ今更ながら吹き替えにずっと違和感がある、特にレイ

チューバッカ以上に酷いのがC-3POの件

コンピュータにはバックアップという古来から伝わる便利な方法があるので「でしょうね」という感想

ただep8 のライアンジョンソンの「過去に縛られるな」という主張に対するJJのアンサーが「過去へのリスペクト」だったのは感動した。まぁスターウォーズ使ってケンカするなよってことだけど。

 

・アナ雪2

エンディングにロックverの「未知の旅へ」が特に良くて、エンドロールと共に聴いてると「ひとつの映画が終わった感」がありありと感じられる

劇中でメロディをリフレインさせたり、エルサの歌唱とエンディングに未知の旅へを流すことで前作のレリゴーを越える為の布陣が敷かれていた。良い意味で狡猾。

 

 

・スパイダーバース

PS4スパイダーマンがゲームとして凄く面白いものだったがストーリーも良くて、主人公はピーターなんだけどマイルズも登場していて、最終的にマイルズへの継承で終わってるあたりが新しかった。スパイダーバースは恐らくこれにインスピレーションを受けブラッシュアップしたものと思われる。そのブラッシュアップは誰にも想像出来ない領域へ到達した。

 

 

この世界の片隅に

第三次世界大戦シミュレーションを面白いと言ってた曽我くんが一位に挙げたのが「この世界の片隅に」ってのがアンビバレントな感じで。

 

すずさんの手の件。

メタルギアソリッドVのサブタイトルにまでして取り上げられていた言葉が「ファントムペイン」。日本語では幻肢痛。失ったはずの四肢が再び痛むというもの。失ったり、奪われたりしたものはそこで終わりではなく痛みは残り続けるというありがたいメッセージも恐らくメタルギアソリッドVには込められていたと思う。それを更に拡張したのがすずさんの手の喪失。

 

自らの身体以上のものを失う痛みを脳はどう処理するのか?

 

悲惨な戦争体験。戦争の恐ろしさを伝える上でこれ以上の真摯さは無いと思われる。

 

 

シンウルトラマン2021年公開です。

 

番組で取り上げる映画は話題作が多くなるのでそこを中心に選ぶと結果的にライトな印象に。

ビッグバジェットが多め。

今年は映画館行けなくても後から配信で話題作は更に見ていこう。


‪【ネタバレ映画批評】脱力!キネマタイムズ第10回『シネマランキング2019』【謹賀新年】 http://datsuryokucinema.seesaa.net/article/473044362.html


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『天気の子』と「不倫は文化」【ネタバレあり】

新海誠監督「天気の子」

https://i.gzn.jp/img/2019/04/10/tenkinoko-shinkaimakoto/00.jpg


トーホー日比谷、朝イチの回。客はまばらで隣も空いてましたが、
上映ギリギリに滑り込みで隣に小学生くらいの女の子が1人で座りました。
1人?と思いましたが「東京の小学生は凄いぜ。」と流し鑑賞。

中身は前回に負けず劣らずの美麗アニメーション。
雨が水がプリズムが劇中至る所で踊りまくる。
前回の登場人物より幼く見えワガママな子供の話かと序盤はきつくなった瞬間もあったが
天気に関する豆知識や現代人の天気の捉え方、
更にはフィクションに対するロジックの積み重ねを一生懸命やってて引き込まれた。
天気を操るとか神の御業な訳で、好き勝手やれる話だったらどうしようかと心配していたが
いわゆる「力の代償」的なフリもあり、そういうバランス感覚があるクリエイターは信頼できるよなーとか考えながら観ていた。
美麗アニメーションの中には彼のこだわりの1つでもあるビルなどの建造物が今回も随所に出てきており
晴れ間が指す森ビル屋上などは圧巻の一言。カメラが回り込むのもグッド。


そんな中、新宿歌舞伎町など汚い街並みも描かれているのだが
所にラブホテルが見切れている。
僕の記憶が正しければ1枚、2枚のレベルではなく結構挿し込むなーと。


そして作中後半、案の定主人公一行は必然的にラブホテルに泊まる事になるのだが
ここでのラブホ描写が凄くしつこい
玄関の狭さから始まり、風呂の広さ、風呂のライトアップ、ベッドの広さ、カラオケ、枕元の電気のスイッチ、有料ホットスナック、女の子にはガウンを着せたり等
ラブホあるあるをかなり見せるなと思っていたら
大オチで朝、木の板で閉じられている窓の隙間から朝日が注いでて
それで起きる所で流石に笑った。
そしてふと思う、意図的だなと。

その後はヒロインが消え、主人公が走るといういつもの奴になるわけだが
今回は「ヒロイン」と「晴れの世界」が天秤にかけられている。
ロインを助けるという選択は「晴れの世界」の喪失を意味し
逆に「晴れの世界」を選択すればヒロインを喪失。
「選択の代償」が主人公には付きまとう。
ここでビッグバジェットの映画なんかでは
個人の志向より世界を救うような選択をして
或いはヒロイン自ら犠牲になり
主人公がヒロインを思い涙の1つでも流しRADを流しエモい感じで締めそうなものだが、この映画ではまさかまさかの個人のエゴを優先し世界を代償にヒロイン個人を選択する。
ここら辺であれ?これってまさか…
脳裏をよぎるのは監督自らが何かの媒体で
「間違った選択をする物語」
的な事を言ってたなぁと。



間違った選択…
世界を代償に…
個人のエゴ…
ラブホテル…
選んではいけない相手…



不倫やん。
「君の名は」リリースタイミングくらいでリークされてたよね
その報道急に立ち消えたけど(怖)。
もちろんスポーツ新聞ネタなので100%やってるとは言い切れない。美人女性編集者とか具体的だけど、ガセの可能性もある。
ただ今回の映画の中身考えると、これやってるやん。
「100%の不倫男おぉ?!」やん。

つまり「晴れの世界」は今の奥さんがいて子供のいる家族のある世界。
逆に不倫相手を選べば、一緒には居られるが雨の降り続く世界。

作中でも描かれてるがラブホは身分を証明する必要が無いから都合が良い。
(丁寧にAPAっぽいホテルにも行くが断られる)
こんなに執拗にラブホ描写して
しかも楽しい感じにしてるってことは相当楽しかったんだなと。

恐らく監督の中ではそれはセンセーショナルな出来事で、
現実には出来なかった選択穂高くんにさせる事で昇華させた訳だ。
「ララランド」の様なあったかもしれない未来、切ない。
実体験或いは実際に感じた事を作品に落とし込むのが一番観客に届くと理解してる監督なので
まぁあながち間違いでは無いかと…。
実際やってるかどうかはどうでも良い。
むしろ純愛故に良き題材な訳で。
恋愛してないと恋愛を書き続けるのは無理だと思うので報道は納得がいくものだった(笑)。

結果的に「雨の世界」がやって来る。
やってくるというよりそもそも「雨の世界」だったものが継続される。作中でも「この世界がもともと狂ってる」と小栗旬が間違った選択を肯定してくれる。


後は細かいのをいくつか
ヒロインの弟の存在はホテルで3ショットが必要だったのかなと。
ホテルで2ショットは意味を持ち過ぎるので緩和するための「ホテルシフト」。
弟のキャラは立ってるがそれ以外にあんまり効いて無いし。

大量に発生した水の魚は、不倫報道に飛びつくネット上の大衆か。
現れては消えてく魑魅魍魎。

知り合いが指摘してたのが「主人公がヒロインをあっさり助け過ぎ」ってのがあって
確かにやると決めて向こう側に飛んだ後は、
ヒロイン見つけてラピュタ或いはエウレカやるだけなので実際そうなんだけど
この切り口で考えるとどっちの世界かの「選択」だけが重要なのでそこも説明がつく。

拳銃描写が結構重くて、必要か?と思ってたけど知り合いからの指摘で
「男性器」のメタファーという事で必然性ありました。
高くんが男になると、性的。
そう考えるとガウンも凄い性的やわ。
彼女の体が人間性、女性性を失う一瞬は「最終兵器彼女」を連想させられた。

今回の勝負曲「グランドエスケープ」も賛美歌っぽくて不倫を祝福してくれます。
(賛美歌はどうなのか、ま脳内では賛美歌以上のものが流れているのだろうが)
タイトルも最高で「グランドエスケープ」。
エスケープですって。何から逃げたいのか!?笑
個人的な興味は、この作品の意図を洋次郎には理解させたのかさせなかったのか。
理解させてないとこの歌詞出ないよな。


空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら
それでも空に魅せられて 夢を重ねるのは罪か?

刑事罰は無いです。


夏は秋の背中を見て その顔を思い浮かべる
憧れなのか、恋なのか 叶わぬと知っていながら

法的に結婚は無理です。


重力が眠りにつく 1000年に一度の今日
太陽の死角に立ち 僕らこの星を出よう

今日スケジュール大丈夫よ、奥さんいないから。


彼が目を覚ました時 連れ戻せない場所へ
「せーの」で大地を蹴って ここではない星へ

ホテルかな?

行こう

ホテルか

もう少しで運命の向こう もう少しで文明の向こう
もう少しで運命の向こう もう少しで

文明とは紙一枚の拘束力と理性


夢に僕らで帆を張って 来るべき日のために夜を超え
いざ期待だけ満タンで あとはどうにかなるさと 肩を組んだ

ポジティブな意味での夜だろうな。
無責任、故に本質的。


怖くないわけない でも止まんない
ピンチの先回りしたって 僕らじゃしょうがない
僕らの恋が言う 声が言う

考えるのやめてます。


「行け」と言う

どれだけ制約のある恋なのか。

 


「100%の晴れ女」という勝負ワードが予告にも出てくるが
同時に「100%の雨女」だったわけでアンビバレントな感じも良き。

見てる最中、陽菜が「晴れの巫女」なら
対の存在「雨の巫女」も登場するのかと妄想していたが、そんな事は無かったぜ。
もし「雨の巫女」が出て来ていたならそれは完全に奥さんなので怖いです。

雨の降る世界には陽菜が存在するのに
晴れの世界には奥さんは存在せず、奥さんは世界そのものに同化してる辺りリアルだったりする。
結婚すると恋愛対象ではなくなるとか良く言われる事だがそれを落とし込んでいる。
そう考えると奥さんを太陽にしづらいから、太陽は娘か。
すると奥さんは"重力"か。

すごい個人的な映画で
ニヒリズムナルシシズムで気持ち悪くなりそうなものだが
エンタメ化できる手腕は流石というべきか。

 


追伸

隣では小学生の女の子がクライマックスで
手を合わせ祈るように泣きながら見ていた。
音楽パワーずるいなとか思って泣くつもりはなかったが
その光景にこれが純粋無垢のリアルかと、泣かされた。

 

 

 

 

 

 

 

アカデミー賞直前!『それでも夜は明ける』 町山智浩、デーブ・スペクターイベント付き試写会レポート

映画『それでも夜は明ける』 試写会、シネマート六本木へ。

 

それでも夜は明ける』は南部の農園に売られた自由黒人ソロモン・ノーサップが12年間の壮絶な奴隷生活をつづった伝記を、「SHAME シェイム」で注目を集めたスティーブ・マックイーン監督が映画化した作品。

本年度アカデミー賞で現在作品賞ほか9部門にノミネートされている。


映画『それでも夜は明ける』予告編 - YouTube

 

作品上映後、映画評論家の町山智浩さんと、放送プロデューサーでタレントのデーブ・スペクターさんが登壇。

町山さん曰くとても歴史的に意義のある映画だという。

 

短いトークイベントだったが情報量が凄かったので、以下ポイントを箇条書きに。

・どの国にも触れられたくない歴史があるが、アメリカの奴隷制度はその中のひとつ。ハリウッドは100年も歴史がありながら、奴隷農場を描いた作品はほとんどない。

・アメリカの奴隷制度をきちんと扱った映画は過去2作品(「マンディンゴ」「ジャンゴ」)しかなく、今作品で史上3作目。

・「シンドラーのリスト」がホロコーストを題材に扱ったように、『それでも夜は明ける』も、今まで避けてきた題材を扱った歴史的に大きな意味を持つ映画。

・原作は1853年発表。約10年後に南北戦争勃発、終戦。故に来年は南北戦争の奴隷解放から150年。大きな区切りのタイミングなので注目されている映画。

・当時は自由黒人という人達が北部に存在し、普通のアメリカ人の生活をしていた。奴隷は高価な値段で売れるため、北部では人さらいが横行していた。

プロデューサーはミズーリ州出身のブラッドピット。ミズーリ北部と南部の州を結びつける位置にあり南北戦争で州の中で分裂して戦った州。親子で殺しあった事例も存在する。

・そのブラピも作中でカナダ人の奴隷解放論者を演じる。カナダは奴隷制度に反対している国だった。

・すごくおいしい役だったのでデーブが「自分でプロデュースして美味しいとこだけもってくのはどうなの?!」

・「ブラピの役はデウス・エクス・マキーナといって映画や小説で本当はやってはいけないこと」と町山さんも苦笑

・プロデューサーとしては「ディパーテッド」のオスカー受賞や「マネーボール」を挙げて優秀だと評価。今作でもスポンサーが見つからない等困難にぶつかりながらも作品を完成させた。

ゼロ・グラビティ」と『それでも夜は明ける』は同じ狙いを持つ映画。両方とも観客に体験をさせる。前者は宇宙を、後者は奴隷を。

町山さんのアカデミー賞作品賞の有力候補は「ゼロ・グラビティ」と『それでも夜は明ける』。ゼロ・グラビティの不安要素は過去SFが作品賞を受賞した実績なし。

ハリウッドは選考人が6,000人くらいいるが、平均年齢が60歳。人気や売上関係なく賞を運営していて、業界受けのいいものが毎年アカデミー賞を獲る。

・本作で助演女優賞にノミネートされている新人女優のルピタ・ニョンゴは凄い演技で、注目を集めている。アメリカのトーク番組でもひっぱりだこ。助演女優賞の大本命。

それでも夜は明ける』は南部ではほとんど公開されていない。今も根強く残る当時の思想。

・南部の住民は政治活動で南部の旗を掲げたりする。南北戦争当時の旗なので奴隷制度肯定の意味を持つ。

・南部の人の中には、歴史修正主義の人も居り奴隷に対して非道な行為はしていないと言い張る人もいる。奴隷に対しての酷い仕打ちとして世間に流れている情報は北部側のプロパガンダだと主張。

・そんな中、本作がアメリカの公立高校の必須映画に。正しい歴史を認識するため。

作中で奴隷の首をつるのに使われていた木は、実際に当時首をつるために使われていた木。墓も本物。

・原作を読んで奮起し北軍に参加した兵士が実在する。エップスの農場に実際に辿り着いた。

・「風と共に去りぬ」はとても有名な作品だが人種問題や奴隷制等の事実を隠蔽した恐ろしい作品。

リヴァプール奴隷貿易で大きくなった町

・原作者は解放された後、自分をさらったものを訴えた。しかしNY(奴隷制度なし)の裁判所からワシントンの裁判所(奴隷制度あり)へ移管されたため実刑にはいたらず。

・原作者はどのようにこの世を去ったのかが明らかになっていない。何者かに殺された可能性が高い。

ローリングストーンズの曲「Brown Sugar」は本作のマイケルファスベンダー演じる農場主の境遇、行為そのものの歌詞である。

  

 

第86回アカデミー賞授賞式が明日に迫るこのタイミングの試写会。トークイベントではオスカーの話題も盛り上がった。

一方作品自体はアメリカの暗部を照らし出す作品。奴隷制度の背景や現在の状況などが詳しく解説された。アメリカという国を考える上での大きな要素をぶつけられるような試写会だった。

 

12 Years a Slave

12 Years a Slave

 

 

 

12 Years a Slave: A True Story of Betrayal, Kidnap and Slavery (Hesperus Classics)

12 Years a Slave: A True Story of Betrayal, Kidnap and Slavery (Hesperus Classics)

 

 

 

 

 

「風立ちぬ」と義祖父の戦争体験

「風立ちぬ」を見た翌日に嫁の実家で義祖父とお話してたら、

戦時中は学徒動員で戦闘機のエンジン作ってたらしく、とても驚いた。
しかもそのエンジンは完成したら名古屋に送っていたらしい。
そう、堀越二郎や本庄が働いていた名古屋だ。
 
小学生時分だった義祖父は動作チェックをしていたらしい。
何から何までディテールが伝わって来る。
思いがけず映画のリアリティを補完して貰ってしまった。
実際に体験した人が目の前で話してくれるという貴重な経験もした。
 
 
現実でその映画の内容を補完されると、その作品の訴求力は映画の枠を越えてくる。
祖父の話が「風立ちぬ」に更に生命を吹き込み、
「風立ちぬ」が祖父の話を私の頭の中で絵にしてくれる。
とてもエキサイティングな夜だった。
 
戦争を体験した人も年齢を重ねている。
戦争体験者から、直接戦争の経験を聞けない世代がいつか生まれて来る。
その子供達に戦争の恐ろしさを伝えるのは現代を生きている我々の使命なのだ。
 

 

 

 

風立ちぬ (徳間アニメ絵本33)

風立ちぬ (徳間アニメ絵本33)

 

 

 

風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)

風立ちぬ (ジス・イズ・アニメーション)

 

 

 

風立ちぬ 2014カレンダー

風立ちぬ 2014カレンダー

 

 

 

 

『かぐや姫の物語』考察 〜アダムとイブ〜

見て来ました『かぐや姫の物語』。

 
今回はストーリー中心に書きます。
竹取物語をなぞった上で、高畑勲監督は何を描いたのか。(ネタバレあり)
 

聖書

『かぐや姫の物語』のバックボーンは
旧約聖書「創世記」の話ですね。
 
これはもう、そうでしょう。
簡単に言うとアダムとイブです。
 

アダムとイブ

「創世記」を簡単に。
アダムとイブはエデンの園(理想郷であり神の国)で神によって
飼われているペットでした。
ある時、神によって禁じられていた知識の実を食べて欲望が生まれてしまいます。
この時に葉っぱで股間を隠すのですが、
これは性欲に目覚めて恥じらい(罪)が沸き起こった事を意味しています。
自我に目覚めたともいえます。実存ですね。
ペットは自分が何者であるか等、考えません。
自我に目覚めた訳ですから、もう神のペットではありません。
そのことでエデンの園を追放されます。
これが「原罪」です。
 

実存主義

これの説明がまた難しいのですが、さらっと。
実存とはデカルトさんの
我思う、ゆえに我あり
の言葉にある通り、自分が自分を認識している時だけ、
自分が存在するという考え方です。
つまり認識する事で世界が存在します。
はい、分かりにくい。
反対語の実在主義と合わせて考えると、分かりやすいかもしれません。
面白い考え方なので是非調べてみて下さい。
 
 

月世界

やっと『かぐや姫の物語』に言及できます。
『かぐや姫の物語』は、かぐや姫が清浄無垢な月世界から穢れた地上へ来る話です。
もうお分かりでしょう。
 
月世界は「エデンの園」
 
かぐや姫は「イブ」
 
ですね。
ところで月世界はどんなところなのでしょうか。
とあるワンシーン。
一面真っ白の雪原に倒れこんだ時にかぐやが言う
「私、この世界を知っている」
は、正常無垢だけど色のない月世界のことを指しています。

真っ白の雪原には何もありません。

 

月世界の罪

竹取物語で月から迎えが来た場面で天人が翁に言った台詞
かぐや姫は罪をおつくりになったために、このように卑しいお前のところに、しばらくいらっしゃったのだ。今は罪を償う期限も終わったのでこのように迎えにきている。早くお出し申しあげよ。」
原作でもとはっきり言っています。
かぐや姫の罪というのは上で述べた「原罪」の事でしょう。
アダムとイブと同様に、かぐやも月世界で実存に目覚めます。
 
『かぐや姫の物語』の場合、実存に目覚めるきっかけは、地上の唄を歌う女性。
月にありながら、僅かに残った記憶で地上の唄を唄う女性に
かぐやは興味を持ってしまいます。
だから、かぐやは地上の歌を歌えました。
実存に目覚めた者は神の国には居られないのです。
 
決定的なのが
捨丸とかぐやが瓜を食べるシーン。
畑から瓜を拝借するのですが、
丁度、人が来てしまい近所の子供達と二人は分断されます。
なんて都合が良いのでしょう。
そして二人だけで隠れて瓜をたべます。
 

アダムとイブが禁断の果実を食べた瞬間ですね。

 

月世界の罰

 
罪について理解出来れば後は簡単。
穢れた世界である地上に落とすことがですね。
喜怒哀楽に身を焦がし、愛別離苦の情に振り回され生老病死に苦しめられる世界です。
月世界からすれば、に相応しいでしょう。
 
 

穢れた地上

しかし地上の世界は、それ故に生々しい生の世界でもあり、
色彩に溢れた世界でもあります。
泣き笑いの詰まった、素晴らしき世界です。
 
観客はかぐや姫の地上の暮らしが可哀想だと思うかもしれません。
かぐやも辛い生から逃げ出したいと一度は思いました。
しかし、その悲しみがあるからこそ冬があるからこそ、
春が来るとかぐやも劇中で気付きます。
死んだ様に生きてしまった経験を経て、生きる意味を理解したかぐやだからこそ、
月へ帰ることに抵抗したのではないでしょうか。
しかし相手は月世界の天人。
抗えないと分かっているかぐやは悲しみに打ちひしがれます。
悲しむしかないかぐやの代わりに女童(めのわらわ)が抵抗するんです。
女童は作品全体をコミカルに仕上げる飾りと思っていたのですが、
最後の最後にやってくれますね。
地に足をつけ、闊歩しながら地上の唄を唄い子供たちと共に抗います。
小さな小さな抵抗ですが、天人達と対照的に描かれる地上のパレード
真正面から対抗する意志の表れです。
辛い事ばかりの地上で、生きようとする力強い姿そのものでしたね。
 
はっきり言って、かぐやに何もいいことなんて無かったです。
でもかぐやは言います。
「穢れなんかじゃない!」
 
 
ここに全てが収束するんですよ、最後に。
喜びや悲しみ、苦悩や葛藤、願いに祈り、
力強さや勤勉さ、温かさや明るさ、教養や共感が、
尊敬や憧れが、畏怖や恐れが、
かぐや姫が生きた全てが全てが…号泣必死です。
 
 
またこのシーンでかかる曲が、
あっけらかんとしたカントリー調の明るい曲なんですね。
こちらの意を介さない天人を象徴するような曲です。
この曲が突き刺さるんです。
悲しいシーンを明るい曲で、より悲しさを引き立たせます。
バンプオブチキンの「車輪の唄」辺りを思い出しました。
 
明るさと悲しさと気味の悪さが共存したこのラストシーンは間違いなく歴史に残る名シーンでしょう。
 
 
 
温かいアニメーション、決して観客に迎合しない音楽、
人間を見つめ直すストーリー、
どれをとっても最高の作品です。
旧約聖書をなぞっている辺り、人の普遍性に挑戦した作品でもあります。
 
今日性は薄いかもしれませんが、だからこそ人の本質を突く、
沢山の人に愛される、生きる力が心の底から沸き起こる作品になっています。
 
 
 
 
 
最後に、遺作となったこの作品を素晴らしい演技で盛り上げてくださった
地井武男さんに尊敬と畏怖の念を込めて、ご冥福をお祈りします。
 
 

 

 

 

 

今更!映画「ソーシャルネットワーク」

最近見た映画【ソーシャル・ネットワーク
素晴らしい映画だったのでつらつらと。

彼女に振られた事を発端にFacebookを作り、
それが世界に広まる狂騒を経て、全ての始まりへ帰るお洒落構造。
作中ではそんなお洒落は全く無く、発端を忘れる程のFacebook成長狂騒曲。
のし上がって行く様は正にアメリカンドリーム。

現代の話をしているのがまた楽しめる。
SNS使った事ある人には、痛い程分かる描写も。
彼女がFacebookの「交際の有無」の項目に文句を言って来る等、Facebook自体の描写は少なめになっているけど、トラブルの元になる辺りを抑えているのは流石。

紆余曲折ありFacebookは世界に広まる。
ふと気付けば狂騒曲は鳴り止み静寂が訪れる。
先程までの喧騒が嘘のように。ザッカーバーグが気付くと同時に観客も気付く。ザッカーバーグの元には仲間が誰も残っていないと。
そしてラストシーン。上手すぎる。

ザッカーバーグが孤独に気付かない理由も、最初から最後まで一貫して演出されている。
エドゥアルドに詰め寄られても訝しげな表情。ちゃんと聞いてるのか分からない表情にイライラした人もいる筈。
彼はコミュニケーション障害を持った人として描かれている。

決定的なのはビールを投げるシーン。
一本目を投げた後、普通は受け取る気が無いと察するもの。彼にはその“察し”が無いから二本目のビールも割れる。冒頭の彼女への辛辣な言葉も悪意は無く、ただそう思うから話しただけ。

コミュニケーション不全の人間がコミュニケーションツールを世界に広める皮肉な話。
しかしその根本には、コミュニケーションを取りたいという願望がある。



コミュニケーション障害を持つ人でも、

良好なコミュニケーションが取れていない事は認識出来る。

痛みは感じてしまう。


それがあの狂騒曲の根源だと思い返すとその熱量に胸を打たれる。


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